2018年5月20日日曜日

マレーシアに住むことになったきっかけ 3

横浜のイベントで、初めてマレーシアという国を知った私。
まさかその時は、後に自分がマレーシアに移住するとは夢にも思わなかった。


WOMAD92の会場で貰ったチラシで
一週間後であったか、記憶が定かではないが
渋谷で再び、ザイナル・アビディンのライブが有ることを知った友人と私は
もう一度、あの人のステージを観に行こう!と
喜び勇んで出かけていった。

そこで出会ったのが、数人のマレーシア人たちだった。
当時彼らはマレーシア政府派遣の研修生として滞在しており
「マレーシアを知っていますか。」
「知りません。どこにありますか。」
という会話は、この時交わされたものだ。


話をする中で、私はザイナルのCDが欲しいのだが
売っているところを知らないかと聞いてみた。
すると彼らの一人が、
「CDはどこで売っているか分からないけど、
カセットを持ってきてるからあげます。」
と言うではないか!

お若い方にはピンと来ないと思うが(笑)
当時、東南アジアでは、音楽はCDではなく、カセットテープがまだ主流だった。
本国で既に大スターだったザイナルのカセットは
マレー系なら誰もが持っている大ヒットアルバムだったのだ。


幾らなんでも見ず知らずのマレーシア人から
いきなり物を貰うのも気が引けたが
どうやら日本ではまだ、ザイナルのアルバムは入手不可能のようなので
意を決して有難くカセットテープを戴いた。


何を隠そう、この時カセットテープをくれたのが今の夫である。



人生は、時に全く予想不能なことが起きる。
1本のカセットテープが、私をマレーシアに呼ぶとは
一体誰が予想出来ただろうか。

今、こうして書き起こしてみても、自分の突飛さ
無鉄砲さに少々呆れてしまうのだが
この無鉄砲さが後々、思わぬ馬力を発揮して
異文化の中で暮らすピンチを、幾度救ってくれたことか。


私はどうやっても、体当たりタイプなのだ。
慎重に物事を検討し計画するとか
リスクが少ない、安定した道は選べないようで
何にでも体当たりしてしまう。
時に壁を突き破り、時に壁に激突して倒れ
倒れたところに更にドラム缶が落ちてきて
しばらく起き上がれなくなっても、何とかここまで生き残ってきた。

そのしぶとさだけは、自分で自分を誉めてあげたい。


しぶとさ、逞しさこそ、私がこの国で生きる中で
自分の力で身に着けてきたものだ。
日本にいては、決して出会えなかっただろう、逞しい私。
正直、大変だったことは山のようにあるが
私は、根っこのところで楽天家らしい。
大変だったことさえ、今では懐かしい思い出である。



このシリーズを書くにあたり、ザイナルのアルバムを引っ張り出して聴いてみた。
26年前、全く分からなかったマレー語の歌詞が
今は聴くだけで、当たり前に何を歌っているか分かる。
マレーシアに移住した当時、ゼロだった私のマレー語は
今では日常会話であれば、ほぼローカル並に話せるようになった。

懐かしい歌を聴きながら、この国で過ごした時間を
しばし 振り返ったひと時だった。



今 大変な事があって、毎日奮闘している方へ
その奮闘が あなたの力になる時が来る。
筋トレに負荷が必要なように
人生にも、負荷がかかる時期は必ずある。
人生の筋トレをやり遂げることで、生き抜く筋力が必ずつく。
これだけは間違いない。



マレーシア クアラルンプールより愛を込めて
Nana




                                     当時のカセットテープのカバー












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